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神宮について About Ise Jingu

外宮(豊受大神宮)| 別宮 風宮 かぜのみや

御祭神
  • 級長津彦命しなつひこのみこと
  • 級長戸辺命しなとべのみこと

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ご祭神は、風雨を司る級長津彦命、級長戸辺命で、内宮別宮の風日祈宮かざひのみのみやのご祭神と同じです。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祀りしています。

御鎮座地
御池にかかる亀石を渡り、多賀宮へ上る石段の左側に鎮座します。

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風宮の由緒と沿革

文中の青字をクリックで「用語説明」をご覧になれます。

風宮は、古来風社かぜのやしろと称しておりました。しかし、『止由気宮儀式帳とゆけぐうぎしきちょう』、『延喜神名式えんぎじんみょうしき』には記載がなく、長徳3年の
長徳検録ちょうとくけんろく』に初めて「風社かぜのやしろ在高宮道棒本」と記され、多賀宮へ続く参道沿い、杉の木の本にある小さなお社であったと考えられます。

それが内宮別宮の風日祈宮と同様、蒙古襲来の文永・弘安の役の際、ご神威によって猛風が起り、襲来した敵軍10万の兵を全滅させ、未曽有の国難をお救いになったご霊験に応えるべく、正応6年(1293)に一躍別宮に昇格しました。その詳細な経緯は『増鏡ますかがみ』にみることができます。

元来、風宮は風雨の災害なく稲を中心とする農作物が順調に成育するように祈りが捧げられるお社でありましたが、元冦以来国難に際しては神明のご加護によって国家の平安が守られるという信仰が加わります。

幕末になると、欧米列強諸国による東洋進出がはじまり、日本もその侵略の危機に再び遭遇することになり、その際には中世以来の信仰は再度喚起され、朝廷は文久ぶんきゅう3年(1863)5月に15日間の攘夷じょうい御祈願を風宮と風日祈宮に捧げられました。

止由気宮儀式帳とゆけぐうぎしきちょう
延暦23年(804)豊受大神宮とようけだいじんぐう禰宜が神祇官に提出した上申文書。祭儀、鎮座の由来などについて記した重要な神宮資料です。
延喜神名式えんぎじんみょうしき
平安時代中期に編纂へんさんされた古代法典。巻九・十には「官社」に指定された全国の神社一覧があります。

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