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神宮について About Ise Jingu

外宮 | 正宮 豊受大神宮 とようけだいじんぐう

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伊勢市の中心部、高倉山の麓に鎮座する豊受大神宮は、衣食住、広く産業の守護神である豊受大御神をお祀りし、古くから内宮に対して外宮と並び称されています。
今から約1500年前、天照大御神のお食事を司る御饌都神みけつかみとして丹波国たんばのくにから現在の地にお迎えされました。内宮の御鎮座から約500年後のことです。以来、外宮御垣内の東北に位置する御饌殿みけでんでは朝と夕の二度、天照大御神を始め相殿あいどの及び別宮の神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭ひごとあさゆうおおみけさいが続けられています。

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豊受大神宮の由緒と沿革

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豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳とゆけぐうぎしきちょう』や『豊受皇太神御鎮座本紀とようけこうたいじんごちんざほんぎ』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は、「一所ひとところにのみ坐せば甚苦いとくるし」ということと、「大御饌も安く聞食きこしめささず坐すが故に、丹波国の比治の真名井ひじのまないに坐す我が御饌都神、等由気大神とゆけのおおかみを、我許あがりもが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました。これが「御饌殿の創設」、「日別朝夕大御饌祭の創祀」を始めとする御鎮座の由来です。

天照大御神の御神慮によって豊受大神宮がお鎮まりになったことには、どんな意味があったのでしょうか。皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。この御代は大陸との交通がますます盛んとなり、産業の開発も著しく、国富はいよいよ充実した時代であったことを考えると、その深い神慮のほどがうかがわれます。

豊受大神宮は皇大神宮と共に、かつて「二所大神宮」と称され、広大なる御神徳と尊い御鎮座の由緒にもとづいて、殿舎、祭儀のほとんどが皇大神宮と同様であり、皇室の御崇敬もまた同様に捧げられています。しかし、両宮は決して同格ではなく、皇大神宮こそが最高至貴のお宮で神宮の中心です。

神宮の祭典は、「外宮先祭げくうせんさい」といって、まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります。豊受大御神は天照大御神の御饌都神ですので、内宮の祭儀に先だって御饌都神にお食事を奉るのです。祭典の順序にならい、参拝も外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです。

止由気宮儀式帳とゆけぐうぎしきちょう
延暦23年(804)豊受大神宮とようけだいじんぐう禰宜が神祇官に提出した上申文書。祭儀、鎮座の由来などについて記した重要な神宮資料です。
豊受皇太神御鎮座本紀とようけこうたいじんごちんざほんぎ
中世伊勢神道の代表とされる神道五部書の一つです。豊受大御神とようけのおおみかみの御鎮座の経緯などが記されています。
比治の真名井ひじのまない
現在の京都府宮津市辺りと考えられ、比沼麻奈為神社ひぬまないじんじゃ籠神社このじんじゃなどが比定地として挙げられます。

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