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神宮について About Ise Jingu

内宮(皇大神宮)| 別宮 風日祈宮 かざひのみのみや

御祭神
  • 級長津彦命しなつひこのみこと
  • 級長戸辺命しなとべのみこと

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ご祭神は、伊弉諾尊いざなぎのみことの御子神で、特に風雨を司る神、級長津彦命、級長戸辺命。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祭りしています。
風日祈宮に通じる風日祈宮橋かざひのみのみやばしの上からは、美しい新緑や紅葉を望むことができます。

御鎮座地
内宮神楽殿授与所の向い側の参道を進み、風日祈宮橋を渡ると右手に鎮座しています。
風日祈宮橋は五十鈴川御橋ともいわれます。

域内マップで風日祈宮をみる

風日祈宮の由緒と沿革

文中の青字をクリックで「用語説明」をご覧になれます。

この宮の名にちなむお祭りがあります。毎年5月14日と8月4日の2度、風雨の災害が無いよう、また五穀が豊かに実ることを祈願する風日祈祭です。その由緒は、延暦23年(804)の『皇太神宮儀式帳こうたいじんぐうぎしきちょう』四月例十四日の条に「以御笠縫内人みかさぬいのうちんど造奉御蓑廿二領、御笠廿二蓋、即散奉、太神宮三具(中略)風神社一具」とあり、古くは「風神社」とも称されていたことがわかります。

「御笠縫内人」とは、延長5年(927)の『延喜太神宮式えんぎだいじんぐうしき』には、「是日(旧暦4月10日をさす)笠縫内人等供進蓑笠」とあって、4月10日に風雨の平らかなることを祈願して、みのかさを奉るために設けられた特別な職掌でした。後世、鎌倉時代頃には、このお祭りを「御笠の神事」とも称しました。

さらに、『皇太神宮儀式帳』には御笠縫内人の4月のお祭りの他に、旧暦の7月・8月の2ヶ月の間、風雨の平安と五穀の豊穣を朝夕日毎に祈願する「日祈内人ひのみのうちんど」と呼ばれる特別な職掌による神事が行われていたことが記されています。この2ヶ月間の神事は、『延喜太神宮式』に「凡毎年七月、日祈内人為祈平風雨、所須絹四丈」とあり後に7月の神事となっていたことがわかります。

時代が下るにつれ、1ヶ月の長きに亘って祭祀を執り行うことが困難となり、いつしか7月4日(今の8月4日)の1日のみに限定され、4月14日(今の5月14日)の神事と合わせて年2度の「風日祈祭」と称されるようになりました。

このように、時代に応じて変遷がありましたが、お祭りの本義はいささかも変わることなく現在に受け継がれ、古式ゆかしく執り行われています。

もともと「風神社」と呼ばれていました「社」が宮号をもつ「風日祈宮」となったのは、鎌倉時代の蒙古襲来の文永・弘安の役の際、ご神威によって猛風が起り、襲来した敵軍10万の兵を全滅させ、未曽有の国難をお救いになったご霊験に応えるべく正應6年(1293)3月20日、太政官符だじょうかんぷを以て宮号宣下きゅうごうせんげを発せられたことによります。

  • 風日祈祭 御蓑みみの御笠みかさが奉られます

皇太神宮儀式帳こうたいじんぐうぎしきちょう
延暦23年(804)宮司大中臣真継おおなかとみのさねつぐらが神祇官じんぎかんに提出した上申文書。祭儀、鎮座の由来などについて記した重要な神宮資料です。
内人うちんど
古代から明治時代初期まで存在した神宮の職名、古くは禰宜ねぎに次ぐ位の神職でした。
延喜太神宮式えんぎだいじんぐうしき
平安時代中期に編纂へんさんされた古代法典。巻四には神宮のことが記されています。
太政官符だじょうかんぷ
律令制のもと、太政官が発令した正式な公文書です。太政官は司法、行政、立法を司る最高国家機関でした。
宮号宣下きゅうごうせんげ
別宮の「宮」は宮号といい、宮号宣下は天皇から宮号をいただくことです。

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