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神宮について About Ise Jingu

内宮(皇大神宮)| 別宮 瀧原宮 たきはらみや

御祭神
  • 瀧原宮たきはらのみや 天照大御神御魂あまてらすおおみかみのみたま
  • 瀧原並宮たきはらならびのみや 天照大御神御魂あまてらすおおみかみのみたま

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瀧原宮、瀧原並宮とも天照大御神の御魂をお祀りし、古くから「遙宮とおのみや」として崇敬を集めています。瀧原宮は二つの別宮が並立しており、また御船倉を有するなど他の別宮と異なる点が多々あります。
神域内の樹齢数百年を越える杉の木立に囲まれた参道と谷水の流れを利用した御手洗場は内宮を連想させ、神代の昔に誘います。
お参りは瀧原宮、瀧原並宮の順にされるのが一般的です。

御鎮座地
度会郡大紀町872
アクセス
JR滝原駅より約1.5km

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瀧原宮の由緒と沿革

文中の青字をクリックで「用語説明」をご覧になれます。

瀧原宮、瀧原並宮のご鎮座の由緒は大変古く、『倭姫命世記やまとひめのみことせいき』によると約2000年前まで遡ります。第11代垂仁天皇すいにんてんのうの皇女倭姫命やまとひめのみことが、御杖代みつえしろとして天照大御神を奉戴ほうたいして、ご鎮座の地を求めて、宮川下流の磯宮いそのみやをお発ちになり、上流の方にお進みになると、「大河の瀧原の国」という美しい土地があり、この地に二宇の宮殿を造立されたのが起源とされます。

このとき、宮川の急流に困られたご一行を真奈胡神まなごのかみがお出迎えをしてお渡ししたため、倭姫命はその場所に真奈胡神をまつる御瀬社みせのやしろをお定めになりました。これが今の皇大神宮摂社多岐原たきはら神社です。瀧原宮の下流約6km、大宮町三瀬川の宮川のほとりに鎮座されています。そこには近年まで熊野街道の「三瀬の渡し」がありました。

瀧原宮は『皇太神宮儀式帳こうたいじんぐうぎしきちょう』には「天照大御神遙宮あまてらすおおみかみのとおのみや」、『延喜太神宮式えんぎだいじんぐうしき』には「大神遙宮おおかみのとおのみや」、「伊勢と志摩との境の山中、大神宮西を去る九十里」と記されているなど、その歴史の深さがうかがえます。

  • 瀧原宮の御手洗場

倭姫命世記やまとひめのみことせいき
倭姫命の各地の巡行、外宮遷座せんざの由来などを記した書物。神道五部書の一つです。
御杖代みつえしろ
天照大御神の御杖となって、御神慮ごしんりょを体して仕えられる方のことです。
奉戴ほうたい
つつしんでご神霊しんれいをお移しすること。倭姫命やまとひめのみことはその身に天照大御神あまてらすおおみかみをいただき各地を巡行しました。
皇太神宮儀式帳こうたいじんぐうぎしきちょう
延暦23年(804)宮司大中臣真継おおなかとみのさねつぐらが神祇官じんぎかんに提出した上申文書。祭儀、鎮座の由来などについて記した重要な神宮資料です。
延喜太神宮式えんぎだいじんぐうしき
平安時代中期に編纂へんさんされた古代法典。巻四には神宮のことが記されています。

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若宮神社 わかみやじんじゃ

瀧原宮の東、石段を上がった場所に立つ所管社です。ご祭神は詳らかではなく、天水分神あめのみくまりのかみとの伝説が残ります。

長由介神社 ながゆけじんじゃ

瀧原宮の東、西面して立つ所管社で、同所管社である川島神社かわしまじんじゃが同座されています。由緒は古いとされていますが、詳細は不明です。

多岐原神社 たきはらじんじゃ

瀧原宮から約6キロメートル離れた地に鎮座する内宮の摂社。ご祭神の真奈胡神は宮川の急流に困られた倭姫命を助けたことからこの地にお祀りされています。

授与品の紹介

  • 剣 祓
  • 守 祓
  • 御 守
  • 交通安全御守

授与品、御朱印は宿衛屋でおたずねください。

  • 宿衛屋

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