copyright 2000 神宮司庁(c)jingu-shicho
<拡大写真を見る>

 皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。
 わが国最初の正史(せいし)『日本書紀』(にほんしょき)の伝えによりますと、皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、と称えられ、皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。

と、お言葉を与えられました。また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡されました。米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。

 国の内に隈なく光が照り徹ると称えられる皇大御神の御神体は、八咫鏡(やたのかがみ)で、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を加えて三種の神器(じんぎ)と呼ばれます。
 この御鏡を代々宮中で天皇ご自身がお祭りされていましたが、崇神(すじん)天皇の御代に皇居の外、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を立ててお祭りすることになりました。神籬とは榊のような常緑樹で囲われた神聖なお祭りの場を意味します。そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が皇大御神をお祭りされていましたが、垂仁(すいにん)天皇の御代に至って、倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに皇大御神をお祭り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。
 倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られましたのち、伊勢の国の度会(わたらい)の地、宇治の五十鈴川の川上に到られ、皇大御神のお教えのままに「祠(やしろ)」をたててお祭り申し上げることになりました。祠は社とも書き、家(や)や屋(や)の代(しろ)という意味で、大きなお祭りに際してそのつど新たにたてられる建物のことです。
 神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮(神の宮殿)、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になりましたのは、天武(てんむ)天皇から持統(じとう)天皇の御代にかけてのことです。20年に1度の大祭、神宮式年遷宮もこの時代に始まりました。
 内宮の宮域は、5,500ヘクタールの広さで、大別して神域と宮域林とに区分され、さらに宮域林を第一宮域林、第ニ宮域林に分けています。神域とは内宮のご社殿を中心とした付近およそ93ヘクタールの地域で、ご鎮座以来まったく斧を入れることのなかった禁伐林です。参道に立ち並ぶ鉾杉(ほこすぎ)は神域の森厳さを保ち、またモミ、マツ、ヒノキ、カシ、シイ、クス、サカキ、など繁り、暖帯北部の代表的な林相をなしています。第一宮域林は、神域の周辺並びに宇治橋付近、それに市内から遠望される地帯1,000ヘクタール余の地域で、大部分が天然林で、天然スギを主として、シイ、カシ、サカキ等の林をなし、神宮の風致上、大切な区域で、風致の改良、樹木の育生に必要な場合以外は、伐採(ばっさい)しないことになっています。第ニ宮域林は、第一宮域林以外の4.400ヘクタール余の区域で、五十鈴川水源の保持並びに宮域の風致の増進を目的とするとともに、ご造営用材の備林としてのヒノキの植樹が計画的に実施されています。 神宮では、斯界の権威者に委嘱して、神宮境内地保護委員会と神宮自然保護委員会が組織され、神宮の太古のままの大自然をそのままに守っていこうと努力しているのです。


copyright 2000
神宮司庁(c)jingu-shicho
宇治橋
 内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれています。宇治橋外側の正面から見る大鳥居の姿は感動的であり、身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれます。
 宇治橋は20年毎に、かけ替えられます。全長101.8m、巾8.421mで、欄干の上に16基の擬宝珠(ぎぼし)を据えた純日本風反(そ)り橋で檜(ひのき)で作られていますが、橋脚の部分は欅(けやき)を使用します。
 宇治橋の外と内に高さ7.44mの大鳥居が立っていますが、内側の鳥居は、内宮の旧正殿(しょうでん)の棟持柱(むなもちばしら)が用いられ、外側の鳥居は外宮のものがあてられます。さらに20年たつと、内側の鳥居は鈴鹿峠のふもとの「関の追分」、外側の鳥居は桑名の「七里の渡」の鳥居となります。ともに正殿の棟持柱となって以来、60年のお勤めを果たしています。
<拡大写真を見る>

4s
copyright 2000
神宮司庁(c)jingu-shicho
五十鈴川と御手洗場(みたらし)
 清らかさの象徴内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5年(1692年)徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したものといわれる石畳を敷き詰めた五十鈴川岸の御手洗場にでます。
 神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となります。
 神域の西側を流れる五十鈴川は別名「御裳濯(みもすそ)川」と呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという伝説があります。水源を神路山、島路山に発する、神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮しましょう。
<拡大写真を見る>

5s
copyright 2000
神宮司庁(c)jingu-shicho
手水舎 
 今日、神社に参拝する時に、手を洗い、口をすすぐのは、川や海の中に入って禊(みそぎ)をし、心身を清めていた行事を簡略化したものです。手水の仕方にも作法があり、まず柄杓に水を汲んで、左右の手を洗います。次に左の掌に水を受けて、口をすすぎます。柄杓から直接口をつけるのは不作法とされていますのでご注意を。天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めします。
<拡大写真を見る>


copyright 2000
神宮司庁(c)jingu-shicho
内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)
 参道の左側、銅板葺・入母屋造の建物で、向かって右端から「神楽殿」「御饌(みけ)殿」「御神札授与所」があります。参拝者のお申し出により、神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、御饌(みけ)を奉奠しての御祈祷や献金、皇大神宮の御神札(おふだ)・御守・暦・御神号軸などの授与を取り扱っています。内宮参拝記念の御朱印もここでいただいてください。また、御遷宮の御造営資金の献金の受付もしています。
<拡大写真を見る>


copyright 2000
神宮司庁(c)jingu-shicho
風日祈宮御橋(かざひのみのみやみはし)
 長さ43.6m、幅4.6mのこの橋は、またの名を「五十鈴川御橋」といいます。南端の欄干には、「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戌午本願観阿弥 敬白」の銘が刻まれていて、室町時代に勧進聖(かんじんひじり)の神忠によってかけられたといわれています。この橋を渡ると風日祈宮に参拝できます。
<拡大写真を見る>


copyright 2000
神宮司庁(c)jingu-shicho
忌火屋殿(いみびやでん)
 切妻造の二重板葺のこの建物では、神さまにお供えする神饌(しんせん)が調理されます。「忌火(いみび)」とは、「清浄な火」ということで、御火鑽具(みひきりぐ)を用いて清浄な火をきり出し、この火を使ってお供えものを調理します。この忌火屋殿の前庭は祓所(はらえど)とよばれ、諸祭典の神饌と奉仕の神職を、祭典前に祓い清めます。
<拡大写真を見る>


copyright 2000
神宮司庁(c)jingu-shicho
正宮
 垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年。4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)がお鎮まりになっています。唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と名付けられる建築様式のご正殿はじめ付属の殿舎ならびに御垣は、20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきました。遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。
<拡大写真を見る>

 「別宮」と申しますのは、正宮との間柄を示すご称号でありまして、皇大神宮、豊受大神宮を、「正宮」とするのに対し、あたかも本家に対する分家の意味で、別宮と称するのであります。別宮の「宮」は宮号(きゅうごう)と称し、天皇の思し召しにより、古くは勅書(ちょくしょ)をもって、のちには官符(かんぷ)をもって、定められました。これを「宮号宣下(きゅうごうせんげ)」と申します。神社にご称号をたてまつることは、ご祭神のご神威の輝きによります。これを敬うこといよいよ厚ければ、神の御稜威(みいつ)も、いやさらに輝きをますものであります。
 皇大神宮には宮域内に2所、宮域外に8所の別宮があります。