RITUALS & EVENTS

⾏事‧催し春/秋中秋の名月神楽祭かぐらさい観⽉会かんげつかい

神楽祭かぐらさい

春と秋に神宮雅楽を広く一般に公開し、
あわせて多くの神賑行事が奉納される催し

令和6年の予定

春の神楽祭
4月28日(日)・29日(月・祝)・30日(火)・5月1日(水)・2日(木)
公開舞楽  午前11時 (内宮神苑)
※雨天時の公開舞楽は参集殿で行います。

秋の神楽祭
9月21日(土)・22日(日・祝)・23日(月)
公開舞楽  午前11時・午後2時 (内宮神苑)
※雨天時の公開舞楽は午前11時のみ参集殿で行います。

観月会
9月17日(火)午後6時 (外宮勾玉池奉納舞台)

振鉾えんぶ

舞楽にあたり初めに奏されます。振鉾は古代中国の故事に由来し、左方さほう右方うほう舞人まいにんほこを振り天地を鎮め安んじて、天下泰平を言祝ぐめでたい舞楽です。鉾で天地をはらうことから舞台を祓い清める舞楽ともされます。

舞人は襲装束かさねしょうぞくで左方は赤のほうに金色の鉾、右方は緑の袍に銀色の鉾を執って舞います。

胡蝶こちょう

平安時代中頃、宇多うだ上皇が童相撲わらべすもうをご覧になる際、藤原忠房ただふさが曲を、敦実あつみ親王が舞を作られました。左方の舞楽「迦陵頻かりょうびん」と共に、童子どうじの舞として名高い曲です。

装束は彩の様々な蝶の刺繍が施された萌黄色の袍を着け、背には極彩色の大きな蝶の羽を負い、蝶が花から花へと飛び、舞い遊ぶ情景を思わせます。

迦陵頻かりょうびん

極楽に住んでいるという鳥、迦陵頻伽かりょうびんがの舞い遊ぶ様を現したもので、起源はインドといわれ、日本には奈良時代に伝えられたといわれます。

舞人は赤色の装束で、背には鳥の羽を背負い、桜の花を挿した天冠てんかんをつけます。手に持つ銅拍手どうびょうしの音色は迦陵頻伽の鳴き声を表現していると伝えられます。

長慶子ちょうげいし

平安時代中期の雅楽の名手、源博雅みなもとのひろまさの作曲と伝えられます。よく整った格式の高い曲とされ、舞を伴わないものの舞楽曲に分類される特殊曲で、舞楽終了の際には、退出をもよおす退出音声まかでおんじょうとして奏されます。

観⽉会かんげつかい

中秋の名月の夕に秀歌・秀句を披講し
雅楽を奏でる雅な催し

神宮では外宮まがたま池奉納舞台において、中秋ちゅうしゅうの名月を愛でる「神宮観月会」を開催しています。観月会は、全国から応募のあった短歌と俳句の秀作を、神宮の楽師がくしが古式により披講ひこうする雅な催しです。披講につづき、管絃かんげん舞楽ぶがくが奏行されます。

短歌・俳句の披講

短歌
冷泉れいぜい流の作法に基づき歌人7名により行います。
俳句
講師こうじ1名による「短冊披講」です。

管絃かんげん

管絃とは管楽器・絃楽器・打楽器を用いた雅楽の演奏形態のひとつで、同じ曲目でも舞楽に比べて柔和で繊細な演奏法です。現在伝わるのは唐楽のみで、しょう篳篥ひちりき龍笛りゅうてきの「三管」各3名、楽琵琶・楽箏がくそうの「両絃」各2名、鞨鼓かっこ・楽太鼓・鉦鼓しょうこの「三鼓」各3名、計16名で演奏します。

舞楽ぶがく

舞を伴う雅楽の形態を舞楽といい、演奏法は管絃よりも力強く歯切れの良いのが特徴です。
舞楽には唐楽とうがくの伴奏で舞う左舞さまい、おもに高麗楽こまがくの伴奏で舞う右舞うまい声楽せいがくに伴って舞う日本古来の国風歌舞くにぶりのうたまいがあります。

観月会の歴史

神宮観月会は、明治31年、藤原定家ていかの流れをくむ和歌の師範の家柄である当時の神宮大宮司・冷泉為紀れいぜいためもとが伝えた冷泉流の作法に基づき、神宮皇學館学友会が倉田山で催していた「観月歌会」に始まります。戦後の昭和23年からは神宮司庁が主催する行事となり、短歌と俳句の秀作を外宮まがたま池のほとりで披講し、併せて管絃と舞楽を奉奏する雅やかな行事となり、現在に至ります。

まがたま池に映る満月

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