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一、宮名とご祭神
 土宮(つちのみや)
 大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)

ニ、ご鎮座地
 豊受大神宮の大前の御池の真向かいに広がる深い杉木立の中、大土乃御祖神をおまつりする土宮がご鎮座しています。

三、ご鎮座の由来と沿革
 往古より外宮ご鎮座の山田の原の守護神として崇敬されてきましたが、『延喜神名式』には記載がみえず、古代においては未だ官社としての形態を有しておりませんでした。しかし、時代が下り長徳3年〈997〉の「長徳検録」(度会家行著『類聚神祇本源』引用)に外宮所管の田社32前の1座として土御祖神社の名が出て参ります。田社とは今でいう末社にあたります。更に平安時代末期、崇徳天皇の大治3年〈1128〉6月5日に宮川治水、堤防の守護神として別宮に加列されるに至りました。末社から摂社を飛び越えて正宮に次ぐ別宮という特別の地位をお受けになりましたのは特別な理由があったものと推察されます。つまり、現在伊勢市の西を流れる宮川は、かつてはその上流に於いて幾筋かに分岐して、今の市街地に流れ込んでおりました。当時は治水技術も発達しておらず、氾濫による被害が相次ぎ、地域住民にとり宮川治水は一際感心が高く、しかも土地の守護を掌どる大土乃御祖神に対する祈りは切なるものがあったことでしょう。また、外宮の祭祀を行う上でも洪水となれば支障をきたす場合があったものと考えられます。そのような状況の下で上記の如く宮川堤防の守護神ということに重きが置かれ、大治3年に朝廷より太政官符が出され、宮号宣下に至りました。その結果、祈年祭、月次祭、神嘗祭の際、官幣に預かることになります。なお、弘安8年〈1285〉の度会行忠の撰になる『神名秘書』によると、土宮3座として大年神、宇迦魂(うかのみたま)神、土御祖(つちのみおや)神の記載が見えますが、別宮に昇格したのは土御祖神1座だけであったと思われます。
 宮号宣下より遅れること7年の保延元年〈1135〉、土宮のご社殿は別宮としての威容を整えるべく規模が増大され、また御金物も鉄製のものから金銅製のものに改められ、御装束も多賀宮に准じて調進されるようになりました。しかし、中世戦国時代になると正宮同様、土宮においても乱世の煽りを受け、式年遷宮は百数十年間中絶の止むなきに至りましたが、神忠篤き人々の手により数次にわたって仮殿遷宮が行われ、寛永8年〈1631〉9月には式年遷宮は復興をみました。
 ところで、他の別宮が全て南面するのに比して土宮だけが東面しております。保延元年のご造営の際もこの点が問題となり、朝廷においても十分検討され、御卜まで行われましたが、結局は従来通り東面に建てられることになりました。これについては南面に建てれば正宮を後にするとか、地勢の便宜上の理由に拠るとか、古来種々論じられてきましたが、詳らかにしません。但し、理由の如何にかかわらず、東向きにご鎮座するということは外宮ご鎮座以前に遡り、古態を残したものといえるでしょう。