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神楽殿内宮・外宮

ご祈祷やお神札ふだ‧お守りの授与、御朱印の取り扱いや次期式年遷宮のためのご寄付などを承っています。

内宮神楽殿ないくうかぐらでん

⼀般的な御祈祷「御饌」を
⾏う御饌殿、奏楽‧舞を
伴う「御神楽」を行う神楽殿

宇治橋から正宮 皇⼤神宮に⾄る参道の中間地点、左側にある銅板葺、⼊⺟屋造いりもやづくりの建物が、内宮神楽殿です。向かって左側からお神札授与所ふだじゅよしょ、ご祈祷受付、御饌殿みけでん、神楽殿となっています。

外宮神楽殿げくうかぐらでん

外宮の御祈祷は
「御饌」も「御神楽」も
同じ御殿で取り扱う

正宮 豊受⼤神宮に向かう参道の途中右側にある銅板葺、⼊⺟屋造の建物が、外宮神楽殿です。

お神札授与所では、お神札、お守りを始め神棚等の授与を、ご祈祷受付では御神楽おかぐら、御饌などのご祈祷のご奉仕や次期式年遷宮に向けた御造営資金の奉納を承っています。
また、参拝記念の御朱印もここでいただけます。

青字:用語説明を表示します

大々神楽

大々神楽だいだいかぐらの「神楽」とは、神遊びともいって、わが国の上古から神事に用いられてきた歌舞です。神宮では、大御神の広大な御神徳に感謝をささげるために神楽を奏し、皇室の弥栄、国家の平安、家内安全、心願成就などの御祈祷を行っています。

江戸時代、国民の6人に1人が神宮にお参りしたという「お蔭参り」。『伊勢音頭』には「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」とあります。このお蔭参りで人々の一番の憧れは、伊勢で「大々神楽」を奉納することでした。

現在もこの伝統に基づき、参拝者の祈りを大御神にお取り次ぎしています。

内宮神楽殿で奉納される大々神楽

御神楽の歴史

古来、神宮では私幣禁断しへいきんだんといって、天皇以外が神宮にお供え(幣物へいもつ)を捧げることは禁じられていました。しかし、平安時代末から鎌倉時代初頭になると、神宮にお供えや祈願をしたいとの願いから、離宮院りきゅういん河原殿かわらどのにおいて臨時祭りんじさいが行われました。臨時祭は、神宮の神前で行われる公のお祭りではなく、私的な祈願を請け負って不定期に行われ、神楽も合わせて奏行されたことから、現在の御神楽の始まりと考えられます。

鎌倉時代、離宮院が廃絶になるのと前後して、御師おんしと呼ばれる神主が、自宅に神楽殿を構えて祈祷し、また、諸国を巡り御神札や伊勢暦などを配り伊勢信仰を広めていきます。室町時代を経て江戸時代になると、御師の組織は大きな発展を遂げ、二千人を超える御師が活躍したといわれます。御師は多くの参拝者を受け入れ、その邸宅に宿泊させて両宮を案内し、御神楽を行っていました。

「伊勢大々御神楽之図」 神宮徴古館蔵

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風光明媚な海のまち 伊勢に佇む神宮へ
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