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豊受大神宮(外宮)正宮 豊受大神宮とようけだいじんぐう

御祭神
豊受大御神とようけのおおみかみ
御鎮座
雄略ゆうりゃく天皇22年(478年)
正宮 豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
正宮 豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
正宮 豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
正宮 豊受大神宮(とようけだいじんぐう)

天照大御神の御饌都神
「豊受大御神」をお祀りする正宮、
正式には「豊受大神宮」

伊勢市の中心部、高倉山の麓に鎮座する豊受大神宮は、天照大御神の御饌都神みけつかみとして豊受大御神をお祀りしています。
今から約1500年前、天照大御神の御饌都神として丹波国たんばのくにから現在の地にお迎えされました。内宮の御鎮座から約500年後のことです。以来、外宮御垣内の東北に位置する御饌殿みけでんでは朝と夕の二度、天照大御神を始め相殿神あいどののかみ及び別宮の神々に神饌を供える日別ひごと朝夕あさゆう大御饌祭おおみけさいが連綿と続けられています。

域内マップ

豊受大神宮の由緒と沿革

豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮とゆけぐう儀式帳ぎしきちょう[1]』や『豊受皇太神とようけこうたいじん御鎮座ごちんざ本紀ほんぎ[2]』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は、「一所ひとところのみ坐せば甚苦いとくるし」ということと、「大御饌も安く聞食きこしめささず坐すが故に、丹波国の比治ひじ真名井まない[3]に坐す我が御饌都神、等由気とゆけの大神おおかみを、我許あがりもが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に宮殿を建て、祭祀を始められました。これが御鎮座の由来です。

  • [1]止由気宮儀式帳とは延暦23年(804)豊受大神宮禰宜が神祇官に提出した上申文書。祭儀、鎮座の由来などについて記した重要な神宮資料です。
  • [2]豊受皇太神御鎮座本紀とは中世伊勢神道の代表とされる神道五部書の一つです。豊受大御神の御鎮座の経緯などが記されています。
  • [3]比治の真名井とは現在の京都府宮津市辺りと考えられ、比沼麻奈為神社ひぬまないじんじゃ籠神社このじんじゃなどが比定地として挙げられています。

豊受大神宮は皇大神宮と共に、かつて「二所大神宮」と称されました。広大なる御神徳と尊い御鎮座の由緒にもとづいて、殿舎、祭儀のほとんどが皇大神宮に準じて行われ、皇室の御崇敬も寄せられています。しかし、両宮は決して同格ではなく、皇大神宮の天照大御神が最高至貴で神宮の中心です。

神宮の祭典は、「外宮先祭げくうせんさい」といって、まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります。豊受大御神は天照大御神の御饌都神ですので、内宮の祭儀に先だって御饌都神を祭るのです。祭典の順序にならい、参拝も外宮から内宮の順にお参りするならわしがあります。

正宮 豊受大神宮
正宮 豊受大神宮

第六十三回神宮式年遷宮 20年に一度、天照大御神に新宮へお遷りいただくわが国最大のお祭りが始まります

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