SHIKINEN SENGU
式年遷宮の歴史

六十二回、千三百年に及ぶ
遷宮の歴史
式年遷宮の制度は、
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初めての遷宮
神宮の最も古い姿は現在のような大規模な宮でなく、お祭りごとに神を仰ぎまつる「
この祠が宮へと大規模に改められたのは、今から1300年前、

役夫⼯⽶ による遷宮
平安時代の中期以降、朝廷が衰微して
また、遷宮の経費は「

遷宮の中断と復興
室町時代後期になると、役夫工米による遷宮費の徴収が困難になり、約120年あまりの間中断せざるを得なくなりました。やがて安土・桃山時代になると、

「伊勢両宮正遷宮の事、先例にまかせとりおこなうべき也」
国⺠総奉賛の式年遷宮へ
明治時代に入ると古制の精神に復し、造神宮使庁が官制として設けられ国家の盛儀として晴れやかに斎行されましたが、戦後の第59回式年遷宮(昭和28年)はGHQの神道指令によって国家の手を離れ、国民の奉賛に主軸が移行して行われるようになりました。その後も広く国民の力を結集しての遷宮が続いており、「国民遷宮」・「民間遷宮」として定着しつつあります。ただし、式年遷宮は国民が中心となって行うということではなく、あくまでも天皇陛下の大御心を体して行われる本義に基づくのであり、それが普遍的な精神といえます。

神霊の