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皇大神宮(内宮)別宮
正宮に次ぐお宮を別宮といいます。内宮の域内には「
荒祭宮
天照大御神の「荒御魂」を
お祀りする、内宮第一の別宮
荒祭宮は、内宮に所属する十所の別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。ご祭神は、天照大御神の
- 御鎮座地
- 荒祭宮は
御稲御倉 、外幣殿 を越えて、石段を下りると正宮の北方、やや小高い所に鎮座しています。
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荒祭宮の由緒と沿革
延暦23年(804)撰進の『
お祭りについては、正宮に準じる第一別宮として特別丁重に行われます。
祈年祭・神嘗祭・新嘗祭の奉幣の儀も、正宮につづき
大祭中の大祭、式年遷宮も、古くから正宮に準じて執り行われています。応仁の乱のころ、長く中絶の止むなきに至った時代もありましたが、寛永8年(1631)には再び式年御造替の制が復興され現在に至っています。また、古くからの大祭、神御衣祭が行われるのは、皇大神宮と荒祭宮のみであることからも、この宮の特別な神位がうかがわれます。
風日祈宮
外宮の風宮と同様に、
「神風」を吹かせた
風雨の神を祀る別宮
ご祭神は、
風日祈宮に通じる
- 御鎮座地
- 内宮神楽殿授与所の向い側の参道を進み、風日祈宮橋を渡ると右手に鎮座しています。風日祈宮橋は五十鈴川御橋ともいわれます。
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風日祈宮の由緒と沿革
この宮の名にちなむお祭りがあります。毎年5月14日と8月4日の2度、風雨の災害が無いよう、また五穀が豊かに実ることを祈願する風日祈祭です。その由緒は、延暦23年(804)の『
「御笠縫内人」とは、延長5年(927)の『
さらに、『皇太神宮儀式帳』には御笠縫内人の4月のお祭りの他に、旧暦の7月・8月の2ヶ月の間、風雨の平安と五穀の豊穣を朝夕日毎に祈願する「
時代が下るにつれ、1ヶ月の長きに亘って祭祀を執り行うことが困難となり、いつしか7月4日(今の8月4日)の1日のみに限定され、4月14日(今の5月14日)の神事と合わせて年2度の「風日祈祭」と称されるようになりました。
このように、時代に応じて変遷がありましたが、お祭りの本義はいささかも変わることなく現在に受け継がれ、古式ゆかしく執り行われています。
もともと「風神社」と呼ばれていました「社」が宮号をもつ「風日祈宮」となったのは、鎌倉時代の蒙古襲来の際、ご神威によって猛風が起り、襲来した敵軍10万の兵を全滅させ、未曽有の国難をお救いになったご霊験に応えるべく正応6年(1293)3月20日、
延暦23年(804)宮司
平安時代中期に
天皇の命を伝える使者。現在、神宮には
神々への捧げものの総称です。神宮では五色(青・黄・赤・白・黒)の絹の
主食の米に加え、酒、海の幸、山の幸、その季節に採れる旬の野菜など、神様へお供えされる食事です。
延暦23年(804)宮司
古代から明治時代初期まで存在した神宮の職名。古くは
平安時代中期に
律令制のもと、太政官が発令した正式な公文書です。太政官は司法、行政、立法を司る最高国家機関でした。
別宮の「宮」は宮号といい、宮号宣下は天皇から宮号をいただくことです。